名古屋をあなたのものにする-名古屋と向き合う|名古屋をするなら

名古屋をあなたのものにする

ある名古屋についての事例をいくつか紹介したいと思います。 とはいえ、すべてが失われたわけでもなく、有楽流の点法が現代まで伝承され、尾州有楽流という流派となって、現代にその茶道を伝えているのです。また、尾張藩の藩士の手による陶品なども時折茶会に出されることがあるそうで、裏千家系の茶会ならば徳川斉荘やその家臣のものも目にすることができるのだとか。そして、名古屋の茶道といえばもう一つ、町人の茶道も忘れてはなりません。まず、なぜ名古屋に多くの商人が集まったのかということ。そうなると新たに城下町も作られることになるのですが、その街づくりに貢献したのが、じつは清州の町人。

これを清州越といい、清州越の旧家といえば名古屋においては名門を示す言い回しだったのです。ちなみに、彼らの次に続いたとされるのが駿河越の旧家。それに従い、一部の町人が駿河から名古屋へと移っていきます。こうして新設ながら有力な実力者が多数存在する名古屋の城下町が形成され、今に至る中部地方の大都市の基礎となるのです。そんな名古屋の街は大藩、尾張の中核として繁栄し、なかからは巨万の富を蓄える商人、いわゆる豪商が誕生します。

もっとも、基本は武士階級と同じく千家流が主となっています。とはいえ、名古屋で茶道を続けていくうち、独自の発展を遂げていったものも確かにあり、表千家の松尾家は代々名古屋に出張教授していたのですが、しまいには名古屋に居を移し、松尾流として新たな一歩を踏み出すに至ります。こうして茶道は武士階級とは違う形で町人にも浸透し、名古屋という街の特性も盛り込みながら、独自の進化を遂げていきます。そして幕末から明治への時代の転換期。しかし、名古屋の町人たちは世のそうした流れとは無縁でした。

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