名古屋のワンツー-後悔しない名古屋|名古屋をするなら

名古屋のワンツー

名古屋がどのような状況にあるのか、何に取り組んでいくべきかを考えてみましょう。 名古屋の旧家は松尾流といわれるのは、そのあたりが深く関係しているのです。武士階級における茶道はその武士たちが茶道どころではなくなった、というのは先に触れたとおり。全国的にも同様の流れがあり、茶道は一時期大きく後退します。日本の社会全体が大きく変わるころだったのだから、それ自体はやむを得ないことでしょう。名古屋が戦災から逃れられたことも大きかったとは思いますが、名古屋に住む人々の気質も影響していたのでしょう。

水戸出身で江戸時代から昭和初期まで活躍した茶人、高橋箒庵は明治期の名古屋の茶道のことを『田舎茶にすぎない』と酷評しています。名古屋という一地域で発達したことで、逆に閉鎖性が生まれ、傍から見れば地方の一作法に堕してしまった。といっては言い過ぎかもしれませんが、他流派の方から見ると耐えがたいものがあった、というものがあったのは事実かもしれません。彼は三井物産の設立にもかかわった大物で、さらに茶人としても高名であり、近代小田原三茶人の1人としても知られた人物。戦後になると、さすがの名古屋もそうした文化は鳴りを潜めていき、今では一部の愛好家がたしなむようになっています。

個人的には門外漢なのであまり詳しくは伝えられませんが、色々と調べてみればまた新たな発見があるもので、そうした事柄を調べることは楽しいものです。ずっと昔の話なのですが、とある知り合いの方から和服についてありがたい教えを受けたことがあります。といっても、話の大半は女性向けの着つけについて。『男なんてたいして手間がかからないのだから』というひと言で片づけられ、確かにその通りだろうとは思いつつ、そこまで言わなくても、と思ったのを覚えています。今や日本人といえど、その多くは洋服で過ごすのが当たり前。

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